最初の違和感は、とてもささいなものでした。

米川寛史さん(障害当事者) 

最初の違和感は、とてもささいなものでした。

友人と話しているときに、「あれ、なんだか呂律が回ってないな」そんなふうに感じたのが始まりです。

次の日、仕事で部屋に入るとき、いつも通り「失礼します」と言ったつもりが、どうにも言葉がもたつく。

「ちょっと疲れているだけかな」

その時は、まだ軽く考えていました。

ところが翌日も、少しずつ話しづらさが増していきました。

それでも「そのうち元に戻るだろう」と、自分に言い聞かせていました。

そんな中、会社から電話がかかってきました。

何気なく出て、「もしもし、米川です」

と言ったつもりが、実際に口から出たのは自分でも意味の分からない言葉でした。

3回ほど言い直しても、自分の名前が言えない。

この時はじめて、「これは、ただ事じゃない」と強く感じました。

近くの病院を受診すると、「脳梗塞の可能性が高いので、大きな病院へ行ってください」と言われました。

タクシーを呼んでもらいましたが、紹介先の病院名もうまく言えず、スマホのメモ帳に打ち込んで運転手さんに見せました。

そのとき、運転手さんがぽつりと「何だ、話せないのか」と言いました。

悪気のない一言だったのだと思います。

それでもその言葉で、「ああ、自分のこれまでの当たり前の日常は、もう戻らないかもしれない」

そんな現実を突きつけられた気がしました。

2週間ほどで退院しましたが、自分の名前すら、はっきり言えない状態でした。

買い物も、人と話さなくて済むセルフレジのスーパーばかり利用していました。

ある日、どうしてもドラッグストアで買い物をする必要があり、少し緊張しながらレジに並びました。

店員さんに「袋は入りますか?」と聞かれ、「特大で」と答えたつもりが、聞き返されてしまいました。

もう一度、ゆっくり言い直して、やっと伝わりました。

それまで何気なく交わしていた、たった一言のやり取りが、こんなにも大変なものになるのかと、その時あらためて実感しました。

退院してから3か月。

リハビリのおかげで、少しずつ言葉は出るようになり、今では日常生活で大きく困ることは減ってきました。

それでも、話したいことがすぐに言葉にならないもどかしさや、伝わるまでに時間がかかる悔しさは、今もあります。望みがあるうちは、あきらめたくありません。

少しでも構音障害が良くなるように、これからも自分のペースでリハビリを続けていこうと思います。

※「構音障害と私は」は、“話す”ことにまつわる実際の経験から紡ぎ出すコラムシリーズ。いろんな声が重なり、社会の理解が少しずつ広がっていくことを願っています。米川寛史さんご寄稿ありがとうございました。

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