構音障害のある脳性麻痺児に対する療育・訓練について
本連載「その2」では、構音障害のある脳性麻痺児への支援について、本人の意思が伝わる環境づくりや社会参加を重視する視点から整理した。今回は、筆者自身が旧ソ連の障害児施設で受けた訓練の体験をもとに、医療的アプローチが療育現場でどのように行われていたのかを振り返る。
私は旧ソ連で育ち(1963~1968、1974~1977)、幼いころ、旧ソ連の障害児施設で長い時間を過ごした。そのなかでも特に印象に残っているのが、構音障害を改善するための訓練の日々である。私はアテトーゼ型脳性麻痺のため、自分ではきちんと話しているつもりでも、言葉が相手にうまく伝わらないことが多かった。舌や唇が思うように動かず、声も不安定だった。
「まず身体を整え、その上に言葉を築く」
施設の療育担当者たちは、「障害への医療的アプローチ」の観点から、発音の問題は口だけの問題ではないと考えていた。彼らの口癖は、「まず身体を整え、その上に言葉を築く」というものだった。そのため訓練は、いきなり発音練習から始まるのではなく、まず身体を正しく保つことから始まった。
訓練室で私は何度も椅子に座り直された。背筋を伸ばし、頭を真っすぐに保ち、身体の余計な力を抜くよう指示される。しかしアテトーゼ型脳性麻痺の身体は思うようには従わない。意識しても腕や首が勝手に動いてしまう。療法士は、しばしば声を荒げながら根気よく姿勢を修正し続けた。
身体全体を発声に適した状態へ近づける
場合によっては筋肉の緊張を和らげるための、筋弛緩剤注射による治療も行われた。さらに重度の子どもたちは、ギブスや外科的な治療を受けることもあった。今振り返れば、発音の訓練というより、まず身体全体を「人間らしい」発声に適した状態へ近づけるための取り組みだったのだと思う。
口や顔の運動訓練
姿勢の訓練が終わると、今度は口や顔の運動訓練が始まる。鏡の前に座り、舌を左右に動かしたり前へ突き出したりする。唇をすぼめたり大きく広げたりする練習も繰り返した。療法士は「もっと大きく」「もっとゆっくり」と声をかける。単純な動作なのだが、私たちにとっては決して簡単ではなかった。
口で息を吹いたり吸ったりする訓練も行われた。紙片を飛ばしたり、小さな玩具を動かしたりしながら呼吸をコントロールする練習である。顔面のマッサージや顎の運動訓練も日常的に行われた。筋肉が硬くなっている子どもには、緊張を和らげる処置が施されることもあった。
ロゴペディック・マッサージの記憶
なかでも強く記憶に残っているのは、ロゴペディック・マッサージと呼ばれる療法である。療法士はスプーンやへらのような器具を使い、舌や唇、頬の内側を直接刺激していく。何度も強い吐き気を覚え、涙と鼻水、涎でぐちゃぐちゃになりながら耐えたのを憶えている。日によっては嫌がって顔を背けることもあった。私自身も決して好きな訓練ではなかったが、療法士たちは「正しい動きを身体に覚えさせるために必要なのだ」と説明していた。
呼吸訓練の重視
そして旧ソ連で特に重視されていたのが呼吸訓練だった。腹式呼吸だ。訓練の順序はいつも決まっていた。まず姿勢を整え、次に呼吸を整え、その後で発声し、最後に発音練習へ進むのである。息を長く吐く練習や一定のリズムで呼吸する練習は地味だったが、言葉を支える土台として重要視されていた。
長時間に及ぶ訓練
毎日の訓練時間は非常に長かった。2時間から3時間に及ぶことも珍しくない。訓練が終わるころには身体も頭も疲れ切っていた。午後の施設内学級の授業になると集中力が続かず、机に向かっていてもぼんやりしてしまうことがあった。それでも施設の大人たちは、言語能力が固まる前の幼少期に集中して訓練することが最も効果的だと信じていた。そのため私たちは、時に苦痛を感じながらも訓練を続けるしかなかった。
ロシア語と日本語で異なった発音の改善
こうした年月を経て、私の発音は確かに以前より改善した。しかし後になって興味深いことに気づいた。私が訓練を受けた環境は完全なロシア語圏だったため、評価基準もロシア語の発音に合わせて作られていたのである。その結果、ロシア語を話すときには比較的明瞭な発音ができるようになった一方、日本語では思ったほど改善が見られなかったのだ。
まとめ
当時の私はその理由を理解していなかったが、今では当然のことだったと思う。発音とは単に口や舌の運動だけではなく、その言語特有の音の体系とも深く結びついているからである。私自身の体験から言えば、構音障害の訓練を考える際には、身体機能の改善だけでなく、どの言語を話すのかという視点もまた重要なのだと思う。旧ソ連で受けた厳しく長い訓練の日々を振り返るたび、そのことを強く実感するのである。
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