「ご注文はお決まりですか?」
店員さんの問いかけに、口を開く。
「……コーヒーをお願いします」
聞き返される。もう一度伝えてみる。それでも、うまく伝わらない。少し気まずい空気が流れる。バッグから小さなメモ帳を取り出し、「ホットコーヒー」と書いて見せる。
「あ、ありがとうございます」
店員さんは笑顔でうなずき、注文はすぐに伝わりました。
たった数秒の出来事です。でも、「伝わった」という安心感は、その日一日を少しだけ軽くしてくれます。
構音障害のある方にとって、紙とペンは単なる文房具ではありません。
自分の思いを伝え、自分らしく生活するための、大切なコミュニケーション支援機器です。
支援機器というと、タブレットや専用機器を思い浮かべる方も多いかもしれません。
しかし、紙とペンは今もなお、多くの方にとって最も身近で、最も確実なコミュニケーション支援機器です。
今回は、そんな「紙とペン」の魅力と、少しの工夫でさらに使いやすくなるポイントをご紹介します。
筆談の一番の魅力は、特別な知識や機器がなくても、多くの人と意思疎通ができることです。
たとえば、次のような場面で役立ちます。
- 病院の受付や診察
- 飲食店での注文
- 銀行や役所での手続き
- 家族や友人との会話
- 職場での確認や相談
このように、紙とペンがひとつあるだけで、初めて会う相手ともコミュニケーションを取ることができます。
スマートフォンが普及した現在でも、「紙に書いて伝える」ことが最も早く、確実な場面は少なくありません。
筆談というと、「きちんと文章を書かなければならない」と思う方もいるかもしれません。
けれども、長い文章を書く必要はありません。
たとえば、
- 水
- トイレ
- 薬
- ゆっくりお願いします
- もう一度お願いします
こうした短い言葉だけでも、多くの場面で十分に気持ちや状況を伝えることができます。
大切なのは、きれいな文章を書くことではありません。
何より大切なのは、「伝わること」です。
キーワードで伝える
文章ではなく、短い言葉だけでも十分に伝わります。
× 薬を飲み忘れてしまいました。
○ 「薬」「飲み忘れ」
数字を活用する
数字は誤解が少なく、素早く伝えられます。
- 38.2℃
- 朝から
- 3日前
- 2個
- Mサイズ
○×を使う
「はい」「いいえ」が伝わるだけでも、会話は進みます。
痛い? → ○
熱は? → ×
よく使う言葉は準備しておく
財布やスマートフォンケースに小さなカードを入れておくと安心です。
- 構音障害があります
- 筆談をお願いします
- ゆっくり話してください
- 少し時間をください
書き終えたら相手を見る
書いている間は、どうしても下を向きがちです。
書き終えたあとに相手の顔を見る。それだけでも、お互いに安心して会話を続けやすくなります。
もちろん、紙とペンだけでは難しい場面もあります。
- 手が震えて書きづらい
- 麻痺があり、ペンを持ちにくい
- 長時間書くと疲れる
- 立ったままでは書きにくい
- 急いでいる場面では時間がかかる
また、高次脳機能障害などにより、文字を書くこと自体が負担になる方もいます。
だからこそ、「紙とペンがあれば十分」と考えるのではなく、その方に合った方法を選ぶことが大切です。
小さなリングメモ
片手でも開きやすく、持ち歩きにも便利です。
太めのボールペン
握りやすく、力が入りやすくなります。
消せるペン
書き直しがしやすくなります。
電子メモパッド
繰り返し使うことができ、家庭や職場でも便利です。
スマートフォンのメモアプリ
紙がないときの心強い味方になります。
筆談では、受け取る側にも大切な役割があります。
言葉が浮かぶまで待つこと。
最後まで書き終えるのを待つこと。
途中で決めつけないこと。
そして、
「ありがとうございます」
そのひとことが、「また伝えてみよう」という気持ちにつながります。
コミュニケーションは、一人で行うものではありません。
伝える人と、受け取る人。その両方で育てていくものなのです。
Q 漢字が思い出せません。
A ひらがなだけでも十分です。伝わることを優先しましょう。
Q 紙がありません。
A スマートフォンのメモアプリでも十分に代用できます。
Q 相手が急いでいるようです。
A まずはキーワードだけを書いて伝えてみましょう。
紙とペンは、何百年も前から使われてきた、とてもシンプルなコミュニケーション支援機器です。
新しい技術が次々と生まれても、「書いて伝える」という方法は、これからもなくならないでしょう。
一枚の紙が、誰かとの会話をつなぎ、自分らしく生活する力になることがあります。


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